憂鬱のたまり場

脳内の書き留め。きっと役に立つから。

いつだっけ

自分がやりたくないことが正解ってわかると嫌になる。

俺が正しいとわかると嬉しくなる。

 

今って

考えなきゃいけないときだよね

 

人間が人間であること受け入れるって俺にはまだ難しいよ。

 

人の中に神みたいなものを見いださなきゃいけない

でもそれって大変難しい。

なぜなら同じ立場だから。

 

 

見たくないように自分を見てしまう。

そんなことないよって言ってあげたいとともに、美しいものは美しい。しかし、美しいものは魔力であり実体ではないらしい。ゆえに、たんに自分に魅力がないだけだ。

 

社会は競争か。

ほんとうの自由を得るために競争しなくてはならないのか。

はたしてその競争とは本当に競争なのか。

自己実現なのか。

 

ロミオとジュリエットなのかなあ世界って。

 

深い話ができるのが恋人なのかもしれないと思って告白したわけよ。

なるほどね。恋人とは楽しい時間を過ごすもんなのか。

 

楽しいってのが難しいんだよなあ…

俺が楽しいと今思うのは知的好奇心が満たされるときだけかな。

 

楽しいこともつらいことも一緒に頑張るんだ。ふーん。

彼と会う時はいつも楽しい時!じゃあいやだなあ。もちろん楽しいはいいんだけどさ。

 

怖い。怖いってことはなにか手放したくないものがある。それは周囲の眼。嫌って言われたあの一言?やつはどういう人間だと信じる?俺は?逃げなのか?いやそれとも実力がなくて嫌な気持ちにさせちゃうって思うから避けてる。

やつについて考えるのはやめよう。またいつか理想の自分に慣れた時でいいか。それがどういう結末を迎えるかはわからないけど。

なぜ行きたくないのか。怖い。何が?どんな人がいるか。わからない。

行かなかったらどうなる?うーん行ったことで変わるなにかが失われる。

行ったらどうなる?それも自由。行ったらどんな人がいるのかわかる。こんなやつなんだ…ってバカにして終わる気がする。

 

国という枠組み。

この中で人が人でいることを諦めさせようとする圧力に、屈しなくては生きていけない現実。

赤ちゃんが生まれることを喜ぶことは人ととして当たり前の事実だろうか。

悪を生み出せてしまう国という枠組みを、変えられるのだろか。人が最も善く生きていくために何が必要なのだろうか。

大きな物語というのは本当に良いものなのか?

まあ良いと言わせるために努力をしなくてはいけないのだが。