憂鬱のたまり場

脳内の書き留め。きっと役に立つから。

人が生きたまま死ぬ時。

人が死ぬ時って生物学的に言えばなんちゃらだって昔調べたなあ。まあ全く思えてないんだけど。

人が死ぬと魂の分だけ体重が軽くなるーとかいう話もあったなあ。

 

本題。

生物学的に言えば生きているけど死んでいる状態があるって話。

その答えを出すには生きている人の価値とは何なのか?って疑問を真っ向から考え突き詰めなきゃいかないのでは?って思うけど、でも今の僕が考えれるところでがんばると、

ひとつに、自分を主張できなくなった時があるなと思う。自己主張できなくなった時。

自分の思い(悩み、問題)を人に伝えることを完全にやめてしまった時に人は死ぬと思う。例えば、悩みを抱えてるのに誰にも相談できてない人。特に死にやすい。てか自殺する人ってこういう人なのかな。

僕がこうやって自分の気持を書きなぐるのも自分を伝えるためだし、この記事が残れば将来昔の自分を振り返ることができるし、同じような悩みを持つ人の力になることもできる。といったような理由がある。

本当は誰もが笑っていられる世界が正解なはず。いや理想なのに、本当に大切なことは目に見えないし、生きていて感じることのできる機会は少ないし、誰も教えてくれない。

それが嫌なんだ。

と同時に僕の問題でもある。僕の頭には少なからず想いで溢れている。伝えたいこともたくさんあった。伝えたい、でも伝えられなかったという後悔とは長い付き合いだ。

 

いまテレビでよくわからん昔のドラマが流れてて、学校が舞台で教師と生徒たちの青春物語?金八先生の古いバーッジョン?みたいな感じなんだけど、この主人公の教師、できる人、とは言い難いんだけど、今さ、僕は間違ってない!僕は間違ってない!って言いながら教室出ていってさ、僕笑っちゃったよ。少し錯乱してるようにも見えたけど笑。でも僕も自分の気持をこんなに堂々とはっきり言えればよかったのになあ。

 

僕はきっと周りを幸せで溢れさせたい。

でもやったことがないからわからないのかな。

いや何回か自分の理想を貫いたことがあったんだ。

おばあちゃんの誕生日に楽器でハピバスデイ演奏したら喜んでくれたし。

僕が伝えられば、少しでも良くなるのかなって実感したんだ。

もし僕の行動で誰かが喜んでくれるなら僕はそれを突き詰めたい。

僕がお世話になった人には絶対に幸せにしたいし、僕が喜ばせることのできる人がいるなら僕はそのために頑張る。

僕が表現することで救われる人がいるなら、僕はそのために頑張り続けるんだけど、本当に必要なのかな?って思っちゃって続かないなあ。

 

まあまだ伝えたいことはあるんだけどまとまんなくなっちゃった。

ああ、そう言えば、

どうすればいいかわからないんだ。心にぽっかり穴が空いたみたいで。

ってとあるドラマのセリフ。

これ聞いた時、僕すごいショックだった。だって僕ずーーーっとこの状態だったから。

ドラマのなかの人物は挫折した直後にこのセリフを言ってて、でもその後しっかり復活するんだけどさ、俺ずーーっとこんな状態だよ。何年間も。悲しかったなあ。悔しかったなあ。

 

p.s.

「今の僕」って言葉好き。

「突き詰める」って言葉も好き。

「突き詰めようこの気持の果て」って歌詞ほんと好き。